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福岡高等裁判所 昭和46年(う)326号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人坂本義雄提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

同控訴趣意(事実誤認)について。

所論は要するに、原判決は、被告人が本件交差点を右折するに際して、交差点の中心付近でよく対向車線の交通の安全を確かめないで進行した過失により本件事故を起した旨判示しているが、被告人は当日時速五〇キロメートルの速度で進行していたが、本件交差点に近づくに従つて減速し、その入口付近で、前後左右の交通の安全を確かめ、ことに対向車線に車両が見えなかつたので、時速一〇キロメートル位の速度で、交差点に入るとともに右折にかかつたものであり、何ら、安全確認義務を怠つた事実はない。しかるに、被害者は、被告人が右折の操作を終つて狭い右側道路に乗入れる直前に左方を見たとき、三一メートル位の距離の位置にあつたにもかかわらず、前方注視を怠り、何ら衝突回避の措置をとらずに自動二輪車を直進させたものであつて、これに対して被告人は、大型車両で通路を塞いだままにしておけないので、加速して衝突を避けようとしたにすぎないから、本件事故は被害者の一方的過失によるものというべく、被告人にとつては不可抗力によるもので刑責はない。というに帰する。

そこで、本件記録および原裁判所で取調べた証拠について調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するのに、司法警察員作成の実況見分調書および当審における各検証の結果によれば、本件事故の発生した福岡県鞍手郡宮田町大字竜徳一九二番地先の交差点は、直方市方面から福岡市方面に通ずるアスファルト舗装の幅員八メートルの県道(以下県道という)と、直方ゴルフ場方面から新入造成団地方面に通ずる未舗装の幅員四メートル(但し、交差点の入口付近は若干広くなつていて、その北側は5.73メートル、南側は5.10メートル)の道路(以下団地方面道路という)とが、やや斜めに交わる、交通整理の行われていない交差点で県道上の東側入口および西側入口はいずれも八メートル、その交差点の中心は、県道の中央線上の、被告人の進行してきた東側入口から約4.3メートルの位置に在ること、そうして、被告人が右折した方向の、交差点の西北角には電柱があり、交差点近くの団地方面道路の右側(東側)は一段低い田圃となつているし、また、県道は、交差点より福岡市方面に右にゆるく湾曲し、かつゆるい上り勾配の坂道となつているうえ、道路の右側(北側)には人家やブロックの塀が続いて、坂の上の方の見とおしを悪くしていることが認められる。従つて、このような坂下の交差点を直方市方面から右折するに際しては、自動車の運転者は当然、交差点に入る前に前方、左右の交通の安全を確かめてから交差点に進入すべきことは勿論、交差点の中心付近で右折するに際しても、対向車線上の坂の上方からの交通の安全を確認したうえ、右側車線に入り、右折をなすべき業務上の注意義務があるものといわなければならない。しかるに、原判決挙示の証拠によれば、被告人は、昭和四四年一〇月一二日午後二時五〇分ころ、原判示の如く時速五〇キロメートルの速度で県道上を西進してきて、本件交差点に近づくに従い減速し、かつ、交差点の手前二〇メートル位の処で、方向指示器による右折の合図をし、交差点入口付近で左右の道路に車両等の影がなく、対向車線上の坂の上の方にも、視界のきく範囲に車両等が見えなかつたので、時速約一〇キロメートルの速度で直ちに交差点内に進入するとともに右にハンドルを切る操作をして右折したが、その際交差点の中心付近では、対向車線の坂の上方面の安全を確認しないまま右側車線内に入つたこと、および右折を終るころ左方を見たところ、被害者岩永正昭運転の自動二輪車を認めたので、慌てて加速し団地方面道路に這入つて衝突を避けようとしたが、およばず、時速五〇キロメートル位の速度で東進してきた右岩永の自動二輪車が、被告人の貨物自動車がまだ団地方面道路に乗入れを終らないうちに、その車体の左側荷台の後部、後車輪の前付近に激突し、その衝撃により同人および右車両に同乗していた瀬崎美代子が路上に転倒し、右岩永は頭蓋骨開放陥没骨折の傷害により同日午後三時ころ死亡し、右瀬崎は加療一箇月五日を要した頭部挫傷、下口唇、右下等腿挫創の傷害を受けたことが認められる。もつとも、前記証拠に当審における事実取調の結果をも参酌すると、なるほど被告人運転の車両は、車幅2.38メートル、車長6.66メートル、車高2.25メートル、積載量六、〇〇〇キログラムの大型貨物自動車であり、幅員八メートルの県道から幅員四メートル程の前記団地方面道路に右折するには、前記のような交差点の地形電柱等の関係上、中央線よりに交差点の中心の内側を廻つて右折すること(本件当時施行の道路交通法三四条二項)が困難で、本件の場合にも、被告人が左側から、交差点の中心をこえて、その付近を大きく右に転回したことが推認され、所論のように右転回に操縦上の技術を要することはこれを肯認するに難くないけれども、途中で一時停止できないような構造上の欠陥等も見受けられないし、もともと、このような大型車両を操作して右折する以上、これによる他の車両等の交通の阻害程度も大きいし、低速で転回するときの対向車線上の交通事情も変るのであるから、被告人の交差点内での運転には、一層慎重な態度が期待される次第で、対向直進車に優先通行関係の認められる右側車線に入る前に、もう一度前記中心付近においても、また対向車線上の交通の安全を確認すべきであつたというべきで、運転操作にやや困難があることの故をもつても、とうてい前段認定の注意義務を否定できない。従つて、これを怠つた被告人の前記右折に過失の存したことは免かれない筋合である。

しかし、反面において、本件交差点の西側の県道は、右に湾曲しているけれども、その見とおしの状況は、坂の上の方から交差点に向つて、県道の中央線(道路の左端から四メートル)上で八二メートル、左側車線の中央(左端から二メートル)付近で七四メートルの手前で、それぞれ交差点の中心付近が確認されるし、道路の左側から一メートルの処を通過してみても、五五メートル手前で、交差点中央より右側のみならず、その左側2.1メートルの部分まで優に確認できる(当審第一回検証調書)。そうして、前記の記録および証拠によると、当日普通乗用自動車を運転して、この県道上を福岡市方面から時速約五〇キロメートルの速度で、被害者らの自動二輪車の後方二〇ないし三〇メートルのところを追尾して東進していた原審証人追田久は、本件交差点の中心付近を右折中の被告人の車両が、車体を斜めにして右側車線(証人の進行車線)内に前車輪を0.5メートル程進入させている状態を六七メートル程手前で発見して減速したが、そのときの被害車両は被告人の車から四二メートル程手前であつたことが窺われる。原審第一回検証調書も、同様の関係車両を配置してなされた同第二回検証調書および原審第六回公判廷での同証人の供述と対照すれば右認定を左右できないし、ほかにこれを覆えすような証拠はない。そうすると、これらの諸点に、前記被告人車両の右折の方法、速度などを綜合すると、原審第三回および第六回公判における被告人の「右折の操作を終つて左を見たとき被害車両を見たが、突嗟に、道路を渡り終ろうと考え加速して右側道路に乗入れ時速一〇ないし一五キロメートルで右折したが、およばなかつた。バイクは後方を通ると思つていた。バイクを発見したのは、自分の車の前部が道路の右側側溝から五〇センチメートル位、自分の位置が道路中央線から一メートル位右側車線に入つたところであつた。また、そのときのバイクの位置は三〇メートル位の処であつた。」旨の供述および原審第一回検証時に被告人の指示したほぼ、これに照応する31.9メートルの距離関係は、一応肯認できるのであつて、これを被告人の捜査官に対する供述司法警察員の実況見分調書と対照しても、被告人が右折を終つた際における、すなわち、被告人の車両が右側車線内を殆んど直進して、団地方面道路に乗入れようとしていたときにおける、被害車両の位置は、なお、すくなくとも二五メートル、西側交差点入口から二二メートル以上手前であつたことを推認するに難くない。そうすると、以上の事実に照せば、他に特段の事情がない限り、本件交差点において、直進車である被害車両は、本件当時施行の道路交通法三七条二項にいわゆるすでに右折をしている被告人の車両の進行を妨げてはならなかつた次第であり、従つて、被害者岩永は当然減速しながら右に転把して被告人の車両の後方を通過するか、または、急制動して停止するなど、衝突回避の措置をとるべきであつたというべきである。しかるに、前掲各証拠によると、前記の如く同被害者の後方から進行してきた追田運転の自動車は、早くより右折の被告人の車両を認めて減速して交差点に差掛つたにもかかわらず、先行の同被害者は左側車線のほぼ中央を時速約五〇キロメートルの速度で、そのまま進行し、交差点に入つてから急停止の措置をとつたばかりか、かえつて道路の左側0.9メートルの地点から0.5メートルの地点にかけて左斜めに1.5メートルのスリップ痕を残して前記の如く被告人の車両の後部に衝突したことが明らかであり、被害者岩永は後部座席に被害者瀬崎を同乗させ時速五〇キロメートルで進行していたというほか、その運転態度等に特に異状と認めるような特段の形跡があつたことは見受けられない。そうすると、以上を綜合し、本件事故は、もつぱら被害者岩永がその前方注視と安全な運転操作を誤つた重大な一方的過失にもとずくものと言うを妨げないのであつて、被告人には前記の過失が存するけれども、反面、たとえ、被告人がその際被害車両を発見していたとしても、当時の前記交通事情、関係車両の速度や距離関係等からみれば、被告人は被害者岩永の安全運転を信頼して優に右折しうる状況に在つたものというべきであるから、被告人の前記過失と本件事故の発生との間には因果関係がない。そうして、ほかに、本件事故が、被告人の過失によることを断定すべき証拠はない。してみると、本件事故が被告人の前記過失によつて発生したものと認定した原判決には事実誤認の違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所においてさらに自らを裁判をすることとする。

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、自動車の運転業務に従事する者であるが、昭和四四年一〇月一二日午後二時五〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、福岡県鞍手郡宮田町大字竜徳一九二番地付近の道路に時速五〇キロメートルの速度で差しかかり、右方の狭い道路に右折しようとしたのであるが、前方は間もなく右カーブとなつていて見透しが十分でないので、このような場合、自動車の運転者は、一時停止して前後左右の安全、特に前方から進行して来る車両等の有無を確かめ、安全を確認して右折し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠たり、速度を時速一〇キロメートル位に減速しただけで、前方からの交通の安全を十分確認しないまま漫然右折した過失により、折柄、前方宮田町方面から進行してきた岩永正昭(四二年)運転の自動二輪車が一五メートル近くに来るまで気付かず、右折中これを発見して加速して進行したがおよばず、自車左側後車輪の前部付近を右自動二輪車の前部に衝突させてこれを転倒させ、よつて右岩永に対し、頭蓋骨開放陥没骨折等の傷害を負わせ、同人の車に同乗していた瀬崎美代子(二一年)に対し、治療約一月半を要する頭部挫傷、下口唇、右下腿右第四趾挫創の傷害を負わせ、右岩永をして、同日午後三時ころ同所付近路上で右傷害による頭蓋内出血により死亡するに至らしめた。」というのである。

そうして、原判決挙示の証拠により、検察官主張の日時場所で、被告人運転の貨物自動車と被害者岩永正昭運転の自動二輪車が衝突し、右岩永が死亡し、かつ、右二輪車に同乗していた被害者瀬崎美代子に傷害を与えたことは認めることができる。しかし、前述の理由により、これを被告人の過失によるものと断定すべき証拠がないので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対して無罪の言渡をなすべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

(松本敏男 井上武次 吉田修)

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